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2004年4月21日
レアード・ファミリー・エステート・ワイナリーにお勤めのロバートによる「ロバートからの絵葉書」
パート4です。今回は、「Wine Memories」〜ワインにまつわる思い出〜。
ロバートのプロフィールは、こちらから。
Post Card from
Napa Valley ,
April 21, 2004
ナパ・ヴァレー育ちの私にとって、ワインとの出会いは 画像をクリックして、ご覧下さい。
時間の問題でした。両親は、ワインをほとんど
飲まない人達で、ホリデー・ディナーの時くらいしか、
食卓にワインが出てくることなどありませんでした。
教会では、ワインはキリストの血であるとシンボル化
されており、それが、私の中で、ワインを「特別」で
「神秘的」なものにしていました。21歳になるまで、
飲酒は禁じられていて、それがまた私の好奇心を
かきたてていたのです。
19歳のサンクスギビング・ホリデー・ディナーに、
ターキーと一緒に、私は1杯のグラスワインを
飲む事を許されました。
ウエンテ・ブラザーズのグレイ・リースリングでした。
それは私が今まで味わった、どんなものとも全く違うテイストでした。ごくんと飲み込んだ時の
冷やっと爽やかな、それでいて、ほの温かい感触。そのワイン1杯が、大体いつもシャイだった
私を、幸せな気分に浸らせ、大いにリラックスさせてくれたのです。そして、そのシャキっとして
酸味豊かなワインが、どれだけターキーの味を盛りたたせたか、今でもハッキリと覚えています。
大学に入って、私は初めて、この神秘的飲み物が
持つ、ロマンティックで、媚薬的な特性を経験する
ことになります。キャンドルライトが灯るそばで、
私は当時のガールフレンド、ジュディと
カルロス・ロッシのハーティ・バーガンディを開けて
いました。ワインで暖められたキスはとてもスイート
で、グラスが進むごとに私達の抑制は解かれて
いきました。
この時のことがあるので、半分冗談気味にでは
ありますが、未だに、このカルロス・ロッシが「今までで一番
好きなワイン」だと言っています。
(訳者註:カルロス・ロッシは、大量生産・低価格を代表するワインで、今でもスーパー・マー
ケットで売られています。どれも、10ドル以下。)
キャンプに行って暖かい夜なら、ワインが私達の飲み物となり、寝袋に一緒にくるまり、
夜空の星について語り合いました。ジュディーは今、他州に住んでいますが、今もやりとりが
続いています。
私のワイン嗜好は、仕事の変化と共に変わって
いきました。ナパ・ヴァレーのプレミアム・ワイナリー
数軒で働いている間、世界に名だたるワインを、有名
な人達と一緒に味わう機会に恵まれました。
スプリング・マウンテン・ワイナリーの美しいヴィクトリ
アン・スタイルの邸宅で、クリスマス・ディナーを頂い
た、あのフォーマルな雰囲気は特に忘れられません。
ゴージャスなステンド・グラスがキャンドルの灯りで
美しく輝き、クラシックなクリスマス音楽がソフトに流れ、
当時のオーナー、マイケル・ロビン氏が素晴らしい物語を語ります。
彼はセラーから、1974年もののスプリング・マウンテン・レート・ハーヴェスト・ジンファンデルを
取ってこられました。違うセッティングで、ワインがあれほど素晴らしい味わいを出すのかどうか、
それは誰にもわかりません。その時、私はワインというものが、至上の時をより楽しいものに
すると同時に、楽しい時間というものがワインをより一層美味しいものにするのだ、ということを
学びました。
私が働いてきたワイナリーのほとんどは、カベルネ・
ソーヴィニョンを主に作っていました。
かなりの勉強と試飲をこなしてきたため、他の
品種よりもカベルネについて多くのことを学び
ました。今でも、カベルネは感情的に好きな
ヴァラエタルです。
しかし最近は、シラーやメルローにも興味を惹か
れています。世界的に有名なカベルネを作る
アン・コルギンさんの、新しいワイナリーを訪れる
滅多にない機会がありました。
彼女のワインメーカー、マ−ク・オーバート(Mark Aubert)氏が、コルギンのメルローを
私のグラスに注いでくれました。マークは、「今まで飲んだ中で一番すごいメルローだよ」
と断言してましたが、確かにそれは本当でした。
非常に深く、ピュアな味わいは、素晴らしく熟したフルーツを彷彿させます。
フィニッシュは、グラスを傾けるごとに長く余韻を残します。セント・ヘレナ山に向かって、
レイク・ヘネシーの北側を臨みながら、私は、この世の平和を感じていました。
★原文をお読みになりたい方は、こちらへ。以上の翻訳は私が行いました。★