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Mrs.
Emiko Kaufman
カフマン恵美子さん
【カリフォルニア・ワインに関する書籍なら】 画像をクリックして、ご覧下さい。
カリフォルニア・ワインに特化して書かれた日本語の書籍
は、さほどの数がないように見受けられます。
楽天ブックス、アマゾン・ドット・コムで検索しましても、
8〜10冊程度。
その中で、私個人も昔から愛読し、教科書として大事に
取っておいてあるのが、
「カリフォルニア・ワイン・パスポート」(同朋舎出版)です。
カリフォルニア・ワインの歴史から始まり、ワインの分類、
気候、AVA、そしてぶどう栽培、ワイン醸造法、ぶどう品種など、カリフォルニア・ワインにまつわる、
あらゆる基本事項、知識として持っておくべき必須事項が、淡々と、余計なフリルなしで書かれてあります。
特に、ぶどう栽培から醸造、熟成、ボトリングに至る、一連のワイン造り行程に関しては、
約45ページに渡って詳細に記されており、この部分をして「教科書」と言われる理由が明らか。
何度、私はここを読み返したことでしょう。
その「カリフォルニア・ワイン・パスポート」の著者が、カフマン恵美子さんです。
北海道は札幌で生まれ育たれた恵美子さんは、
高裁判所付属速記者養成所を卒業後、
札幌地方裁判所で速記官として勤務されていました。
速記官という仕事は、地味に見られがちではありますが、
個人の名前が署名される責任重いものです。公務員でも
ありますし、それだけに、女性がその才能を充分に発揮できる、
「一キャリア」としては、当時においても、貴重な、そして華やかな職業だった言えます。
そこそこの高給でキャリア・ウーマン(今では死語ですか・・?)だった恵美子さんは、
独身貴族生活を満喫されており、ある日、休みを利用してヨーロッパを旅行されました。
あるカフェで、隣に座ったカナダ人が話しかけてきました。
まったく知らない者同士なのに、気安く、親しみこめて話しかけてくる、そのカナダ人の
雰囲気に、恵美子さんは小さからぬ感動を覚えました。
英語を勉強したい、旅して見知らぬ人達とうちとけられるくらいの会話力を身につけたい、
と、恵美子さんは思いました。
たまたま当時、従姉妹のご主人の大学時代の友人であり、アジアを放浪中、札幌に
滞在していた外国人男性がアルバイト先を探しており、恵美子さんは「個人英語教師」として
従姉妹から、その人を紹介されました。
この時こそが、恵美子さんと、ご主人・レイ・カフマン氏との出会いであったわけです。
みっちり英会話をレイさんから習った恵美子さんは、当初の目標通り、再びヨーロッパへの
旅に出かけました。「英語を教えてくれて、ありがとう。じゃあね、バイバイ。」と、レイさんを
札幌に残して・・・。
速記官としてのキャリア、独身生活を心からエンジョイしていた恵美子さんは、結婚なんて
ことについて考えたこともなく、とにかく、ヨーロッパ旅行が楽しみで楽しみで、でかけたのです。
ところが不思議なことに、ある美しい風景を臨む場所で、恵美子さんはこう感じたそうです。
「あ、ここに、この先、レイと戻ってくるかもしれない。」
札幌に残されたレイさんはレイさんで、恵美子さんが近くにいない生活が寂しく、味気なく、
つまらないものであることを自覚していました。
で、ヨーロッパから戻った恵美子さん、それを迎えたレイさんは、自然にお互いの気持ちが
寄り添ったのでありました。
晴れて「夫婦」となってアメリカに渡ったお二人、最初は
レイさんが大学を出たロサンゼルスに居を構え、教師免許
を保持していたレイさんは、身障者のための教師免許も
取得。
ロサンゼルスに違和感を覚えていたお二人は、お友達を
訪ねて、北カリフォルニアのソノマに来られました。
アジアを始めとして、世界中を放浪されてきたレイさんが、「ここだ!こここそ安住の地!」と、
一目でソノマにのめりこんでしまったそうです。
レイさんは、1年ほどソノマの身障者センターで勤務されていましたが、生徒がセンター内から
外に出ることのない閉鎖された施設であったことが、レイさんの心を傷め、好待遇であったにも
かかわらず、そこを退職されました。
当時から、ガレージでビール造りをされていたレイさん(生まれはドイツ)は、ワインについても、
持ち前の鋭い舌で、あらゆるものをテイストされていました。
「ロサンゼルスに住んでいた時も、トレーダー・ジョーズに行ったりしたら、もうそれこそ、
何時間もワイン・ラックの前にいるの。私はずっと外で待っていたものよ。」と恵美子さん。
大学時代の親友ランスさんが働くワイナリーを訪れ、
ワイン造りというものにハマってしまうのも、ですから、
時間の問題だったわけです。
ボトリング・ラインから始まり、ケンウッド・ワイナリー
での数年間を経て、1985年に「Laurel Glen
Winery」での仕事に就かれました。
そして、ローレル・グレンの専任ワインメーカーとして
現在に至ります。
【ワイン・ジャーナリストとして】
そういった背景を経てこられたレイさんをご主人に持つ恵美子さんですから、
日常生活に、ワインは切っても切れないもの。いつもワインがそこにありましたし、家に
来られる方々みなさんが、ワインを当たり前のように飲んでおられました。
ある日、ご主人の親友ランスさんの家でのガーデン・パーティーに招かれた恵美子さん。
その日のアペリティフは、シャトー・セント・ジーンズのリースリング '79でした。
「夕日が沈む風景をバックに頂いた、そのリースリングが素晴らしく美味しかったの。
あれが、私がカリフォルニア・ワインにのめりこむことになった、記念すべき1杯だったこと、
今でも覚えています。」と恵美子さんは、おっしゃいます。
ひとり娘さんに恵まれ、子育ての傍ら、
Gundlach-Bundschu Wineryのホスピタリティ課
で勤務したり、地域のワイン同好会にメンバーとして参加
したりしていた頃、ご主人の紹介により、サンフランシスコ
の日系新聞「北米毎日」紙上で、コラム連載を始められ
ました。
「ワインのおしゃべり」というのが、そのコラムのタイトル
でしたが、これが恵美子さんのワイン・ジャーナリストと
しての初仕事となりました。1985年のことです。
そして1年後、1986年には、日本のワイン雑誌「WANDS」に記事を書き始められ、
冒頭の「カリフォルニア・ワイン・パスポート」は、1993年6月に出版されました。
「ある時、某ワイナリーに行ったら、日本からソムリエの方々が来られていて、
英語がわからず四苦八苦しておられたので、その場で通訳のお手伝いをしてさしあげたの。
そしたら、次回から毎回、通訳としてお仕事を流してくださるようになったのです。
当時の仕事の流れは、そういう恵まれたタイミングと、人との出会いにあったと思います。」
と、恵美子さんはおっしゃいます。
現在、カフマン恵美子さんは、「Wine Talk」という会社の
主宰者として、カリフォルニア・ワインにまつわるセミナーの
講師や、専門的ツアーの通訳、コーディネートをする一方で、
サイトもたちあげ、「California
Wine Perspective」と
いう隔月ニュースレターを発行されています。
年間購読料支払いによる「California Wine Perspective」
ニュースレターは、「カリフォルニア・ワインに情熱と関心のある方、
表面的なカリフォルニア・ワインに飽き足らない方のためのニュースレター」という
キャッチ・フレーズそのままの硬派な読み物です。
ただし、隔月発行ということで、どうしても情報発信のタイミングが微妙に遅くなってしまうこと、
そして印刷代コストがかなりかかってしまうことが、恵美子さんの悩みどころとのこと。
ウエブサイト上での、会員制・ログイン制にしての発信を考案中です。
どんな形になるにせよ、現地の様子、雰囲気、風を感じさせるものでありたいと考えておられます。
「読者の方からの一番嬉しかった褒め言葉は、『景色が目に浮かぶ。そこにいるような気分になる』
というものでした。」
現地情報を発信する者にとって、これは本当にそうありたいと願うことであります。
また、これは私個人からの希望でもあるのですが、
1993年に発行されたきり、現在は絶版となっている
「カリフォルニア・ワイン・パスポート」の最新版を、
是非是非
、出して頂きたい。
恵美子さんも、もちろんそれは考えておられます。
AVAの数も変わっていますし、ワイン醸造法、
ぶどう栽培法も変わってきています。
カリフォルニア・ワインの歴史だって、昔々のことに加え
て、90年代以降の「近代史」についても、記録を残して頂きたい。
ワイン醸造家のご主人を持つ日本人女性、という立場も、もっともっとアピールして、
おっしゃる事、書かれる内容に「ハク」をつけて頂きたいと思います。
カリフォルニア・ワイン情報発信者、ジャーナリストとして大先輩のカフマン恵美子さん。
ソノマでのレストランで、グラスワインを頂きながら、あれこれ楽しくお話を伺いました。
浮わついた今風なものでない、正統派日本語を、ちゃんとお使いになる女性です。
ブラボー!です。
(2005年3月現在)