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Ms. Yuko Suzuki     鈴木 優子さん

ワインカントリー日本語ガイドでご案内した方の中に、「クロ・デュ・ヴァルのサイトに日本語版があって、
興味を覚えたのでこのワイナリーに行ってみたい」とおっしゃった方がおられました。
久しぶりに見たクロ・デュ・ヴァルのサイトには、確かに日本語ページが作られていて、コンタクト先も
日本人スタッフのようでしたので、ツアー&テイスティングの申し込みを彼女宛に送ってみました。

鈴木優子さんとの最初のコンタクトは、この時。
クロ・デュ・ヴァルのサイト上だけでは詳細はわからず、優子さんは当ワイナリーの新任セールス
ご担当者なのかなと思っていました。

それから約半年がたち、別の機会で彼女の名前を聞き、その時やっと、マーケティング会社を興された方なのだとわかりました。
何かと接点がお互いにありそうで、これから先も、仕事の上で繋がりが増えるような予感を抱き、この「人&ビジネス」欄に
ご登場頂いたという経緯です。

お勉強のよくできる女子、東京へ出る!の巻

鈴木優子さんは、岩手県ご出身。東京外国語大学ポルトガル語科への入学を機に上京。
外大に進学するくらいですから、もともと外国語には抵抗がなく、高校時代には交換留学でアメリカ・
アーカーソン州に行っておられます。
東京外大のポルトガル語科は、大半の学生が在学中にポルトガルへ留学にでてしまう風潮があったそうで、
優子さんもそれに則り、1年間ポルトガルはリスボン大学でお勉強。

よろしいですか?つまり、優子さんは日本語・英語・ポルトガル語に長けているのでございます。素晴らしいではありませんか!

大学卒業後は、リクルート社入社。約3年半、ここで働いておられました。
噂通り、まあ実によく働かされる会社だったそうで、残業に次ぐ残業。休みの日は疲れ果てて、1日中眠って過ごすということも
少なくなかったようです。
でも今振り返ってみるに、「あの頃が一番気力も体力もすべて充実していたかもしれない」と思うそうです。
社会人としてのイロハをちゃんと学べたことも、リクルート社で勤務できたことの最大の恩恵であり、今でも感謝していると
優子さんはおっしゃっています。

ハクをつけるにゃ、アメリカだ!の巻

リクルート社での仕事は、遣り甲斐もあり楽しくこなしておられたのですが、大企業のトップと会う機会も
多い中、まだまだ若輩者という、その年齢によるところもありはしたものの、「太刀打ちできない」何かが
常にド〜〜ンと前にあるのを感じるようになりました。

勤務年数を重ねて、それをキャリアにしていく道もありましたが、誰もが一目でわかる、皆が容易に
判断材料とできる「学歴」を取得しようと、優子さんは決心します。
そして、
1992年渡米。入学したのは、ノース・ウエスタン大学(イリノイ州)のグラデュエート・スクール(大学院)。
よろしいですか?(しつこい) 
Graduate School of Management at Northwestern University、です。
かの「ケロッグ」です。
会社からの派遣ではなく、まったくの個人での入学でケロッグというのは、これは凄いことです。
お勉強がよくできないと、無理。当たり前ですけど。

都会に田舎に、アメリカ巡業!の巻

リクルート社を休職する形での渡米でしたので、MBA取得次第、日本に戻る予定になっていたのですが、
卒業間近の時期に、ニューヨークの
PepsiCoからジョブオファーがあり、面白そうだからと就職。
ニューヨークという大都会での生活、そして遣り甲斐のある仕事・・。
そこそこ順調に進むかと思いきや、ある日会社は新しい社長を迎えることになり、内部闘争により
直属上司だったシニアVPがクビになり、その余波をかぶって、優子さんはテキサス州ダラスに転勤となります。

国際部門の仕事も、ダラス転勤と同時にドメスティック(アメリカ国内)マーケットの仕事になり、モチベーションが下がりつつ
ありました。その時、カリフォルニア州のワイナリー、「
E&J Gallo」が彼女にコンタクトをしてきて、アジア担当マーケティング・
マネージャーのポジションをオファーしました。
会社概要には、オフィスが
Modestoという街にあること、ここはサンフランシスコ・ベイエリアの近くだと書かれてあったそうです。
ダラスという味気ない街(ダラスにお住まいの方、すみません)にいたせいか、「サンフランシスコ・ベイエリア」という言葉は
光り輝いて見えたそうです。
ベイエリアの人間なら、モデストという町がどこにあるか、そんな所「ベイエリア」とは呼べないということなど周知の事実
なのですが、訪れたことがない人にはわかりっこありません。

4年間、Galloワイナリーで働いていましたが、途中、サンフランシスコの街中に住居を移し、片道2時間強の通勤を
毎日やっていたとのこと。往復4時間の通勤なんて、考えるだけで疲れます。
そんなある日、夢を見ます。なんと、交通事故で自分が死んでしまう夢。
片道2時間強の無理な通勤は、これ以上続けてもロクなことはないのではないか、と考え込んでしまったそうです。
そしてタイミング良く、この頃、ピープルPC社からアジア担当マーケティング・ディレクター職のオファーが入りました。

その仕事のために、シンガポールでの生活がスタート。
が、それも1年をたたずして終了。会社が
Earthlink社に買収され、国際部門が閉鎖になったのです。
会社を辞めるか、別の部署に移るかの選択を強いられた時、「IT業界はなんだか肌に合わない」という自分の感覚を信じて退社。

サンフランシスコに戻ってくると同時に、地元の産物である「ワイン」と、マーケティングに関わる自分のキャリアを活かした仕事を
模索、友人とコンサルティング業を始めました。
そして、2004年8月12日、自らの会社「スズキ・マーケティング」社を興したのであります。
大学院入学で渡米してきてから、約12年がたっていました。

お酒恐怖症が実はあった!の巻

リクルート社に入社したての頃、新人歓迎コンパが開かれ、その時に無理やり大量のお酒を飲まされてしまったのがきっかけで、
実は優子さん、それ以来、お酒類を口にしていませんでした。
Galloワイナリーに勤め始めたからには、まったく飲まないわけにはいきませんので、徐々に当時からワインだけは
口にするようになったそうですが、「今でも、たくさんは飲めません。お食事しながら、せいぜい3杯までです。」とのこと。

私など、「今日は軽く口をつけるだけにしておこう」と決めていても、その場の雰囲気によって、あっさりそのラインを踏み越えて
記憶をなくすくらい飲みすぎてしまうことがあるのですが、優子さんは、そういう「踏み外し」を決してなさらない方なのでは
ないかと思います。

ワイナリーと、日本&アジアのワイン市場の架け橋!の巻

「スズキ・マーケティング社」は、「ワイナリーやディストリビューターなどワインに関わる企業のビジネス
パートナーとして、マーケティングおよびPR活動のコンサルティング活動を通じて、クライアントの
ビジネスを構築し、拡大するお手伝い」を事業の中心としています。

ワインに関わる仕事、しかもマーケティングですから、ワインのことを知らないでいるわけにはいきません。
で、当然の成り行きではありますが、優子さんは「
日本ソムリエ協会公認ワインアドバイザー」の資格も
取得されています。

謙遜」が美とされる日本文化をしょっていた優子さんは、Gallo勤務時代、CEOに同行してセールス出張をした際、
ついポロっと、「私はワインについては、まだ素人です。」と相手方に言ってしまったそうです。
それを聞いて激怒したのが、
GalloのCEO。「Galloのマーケティング担当として表に出るからには、そんな『素人』なんて
言葉を使うべきではない!君はプロでなければならない。」と、あとで散々お説教を頂戴してしまいました。

知ったかぶりをするのは決して良いことではありませんが、しかし、大手ワイナリーのセールス&マーケティングを
代表するからには、堂々とした態度は必要不可欠です。
優子さんは、CEOの叱責に目が覚めました。

現在は、大手ではない中小規模のワイナリーと契約をし、日本のディストリビューターを紹介したり、ワイナリー内の
アジア向けセールス及びマーケティングのアウトソーシング的立場を取って、事業を行っておられます。
日本から関係者がワイナリーを訪れる時は、そこのワイナリーのセールス担当として、顧客のお相手をすることもあります。

日本の市場では、安価ラインのワインはフランス産、イタリア産、南米産、オーストラリア産に押され、カリフォルニア産は
かなり影が薄い状況。こちら地元で30ドルほどのワインも、日本に渡れば、ともすると1万円を越えてしまう価格帯に
なってしまいます。カリフォルニア・ワインは高いという印象も、ぬぐいきれないのが実態のようです。
(低価格層に限らず、カリフォルニア・ワインは大体において影が薄いようではありますが・・・)

おりしも、今販売中のワイン・スペクテーター誌2006年10月31日号は、「25ドル以下で88〜94ポイントのワイン、
トップ100」が発表されており、100本の中で、最もランクインした本数が多いのがフランスで27本。
その次がオーストラリアで16、イタリアで14、そしてカリフォルニアはたったの10本です。

自ら
Galloのセールスをやっておられたので、おっしゃりにくかったとは思いますが、「低価格層は、ガロがほとんどの
シェアを握ってしまっている」と、優子さんも認めておられ、そういう状況を何とか打破できないものかと
画策中とのことです。

優子さんが架け橋となった中小ワイナリーの高品質ワインが、たくさん、日本の愛好家の皆様のもとに届きますように。

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